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F1のこと

【10/16】


今年のF1グランプリは最終戦までもつれ込んで白熱していますね。

F1といえば、15年ほど前に日本でも大フィーバーしていました。

類にもれず、私も高校生当時は寝不足になりながらTVにかじりついていた口です。

この時の流行は、フジTVの地道な普及への取り組みがベースにあり、日本人初のF1

ドライバー中嶋悟の活躍と、希代のスーパースター、アイルトン・セナの登場で一気に

開花した結果だと思います。

しかし熱しやすく冷めやすい日本人魂は相変わらずで、F1人気も一過性に近いもので、

セナの事故死のあと、残念ながらその後はほとんどの日本人は離れていきましたね。

私も社会人になってからは昔のように深夜にTVを観ながら録画までして、というのは

なくなりました。


思えば、大ブレイクした80年代後半~90年代前半は、アラン・プロスト、アイルトン・セナ、

ナイジェル・マンセル、ネルソン・ピケなど巨星が並び立ち、

ジャン・アレジ、ゲルハルト・ベルガー、アレッサンドロ・ナニーニ、リカルド・パトレーゼ

などの若手~中堅~ベテランが脇をしっかり固め、

そこに新鋭ミハエル・シューマッハ、ミカ・ハッキネンやジャック・ビルヌーブ、デイモン・ヒル、

クリスチャン・フィッティパルディ、マイケル・アンドレッティなどの二世ドライバーが

割って入る展開で、

もう二度とないであろう豪華な顔ぶれでした。これはその当時から友人と、 『オレたちは

贅沢な時間の真っ只中にいる』 なんて本気で考えていましたが、やはり現実でした。

さらに 『有言実行男』 鈴木亜久里の1990年ご当地開催での3位表彰台の功績も見逃せません。

この時はスタート第一コーナーでのセナとプロストの二度目となる因縁の接触事故があり、

亜久里は表彰台を拾ったという声も少なくなかったですが、私は大波乱で広がったチャンス

を亜久里がしっかり掴んだ成果、と解釈しています。


F1グランプリの中継はフジTVでしたから、当然実況はフジのアナウンサーが受け持つ

わけですが、日本GPやモナコGPなどのここ一番ではいつもフリーの古館伊知郎が

担当していました。古館の言葉の魔術師ともいえる表現力は聞いていて心地良く、大一番

を任されるのは納得です。

しかし1992年のモナコGPで、ある人物に転機が訪れます。前年、開幕4連勝を飾った

セナの記録を破り、開幕5連勝としたマンセルが気力充実、意気揚々と臨んだ6戦目です。

この日も普段通り古館が担当するはずだったのですが、都合で間に合わず、急遽代役で

実況を担当したのが三宅正治でした。

ところが、このGP、歴史の残る大逆転をセナが演じ、語り草になる一方、興奮ながらの

三宅の実況が好評を博し、一躍トップアナウンサーとしてTV露出の機会も大幅に増え、

フジ社内では出世街道まっしぐら、・・・はそのせいかどうか分かりません。

この日が三宅の人生のターニングポイントだったことは間違いありません。

当時録画したビデオは今でも取って置いてます。


そして、2006年。黄金期の生き証人だったシューマッハも引退し、またF1の歴史に一つの

幕が閉じました。F1の新たな幕明けが前途洋洋であればいいですね。

シューマッハといえば、 『メルセデス・ベンツの秘蔵っ子』 として、1991年の高速サーキット

で有名なスパ・フランコルシャン、ベルギーGPでジョーダンからデビュー、予選7位となり

すぐさまベネトンへ電撃移籍、と華々しいデビューを飾りました。

フェラーリへ移籍後はご存知の通り、プロストの最多通算勝利数記録、ファン・マヌエル・

ファンジオの最多年間タイトル記録、セナの最多PP記録を次々と打ち破り、F1史最強

ドライバーの名を欲しいままにし、その名は記録とともに永久に残るでしょう。

ただ、F1の世界ですから政治的駆け引きは日常茶飯事であり仕方ない部分もありますが、

勝利のためには実際のレースでもアンフェアな行為も目立ちましたし、事実1997年には

タイトル剥奪の憂き目にも遭っていることなど、人間的には賛否両論あります。私個人も、

シューマッハよりライバルのハッキネンの方が好感が持てます。

このあたり、戦略的なプロストよりも崇高なセナの方が好き、という人情的な日本人感覚

と同じでしょうか。実際はセナにも多々アンフェアな行為がありましたが、不器用なところが

また日本人好みなんでしょうね。


とは言いながら、勝負事は勝てば官軍、負ければ賊軍です。今後のF1界でいつの日か

偉大な先人たちを超えるドライバーが輩出することを願ってやみません。

50年間破られなかったファンジオの記録が破られたのですから、我々が年寄りになる

ころには新たな記録が誕生していることでしょう。


※今日の記事は昔の記憶をたどって書いていますので、細部で間違いがあるかも知れ

ません。あしからずご了承下さい。





2007.10.16 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 徒然

コメント

今回の記事は凄く懐かしく感じました。私は、ジャン・アレジの大ファンでした。確かアメリカGP?セナと激しいバトルを繰り広げたの見て大ファンになりました。ティレルのあの独特のフロントウィングが斬新で中嶋悟の同僚としてコースを走った姿は当時の私には凄くかっこよく見えました。それからフェラーリに行きプロストの相方となりコースを走り抜けた姿には感動ものでした。あの実力でフェラーリで1勝とは信じられませんでした。当時のフェラーリは色々ありましたもんねぇ。私的にはフェラーリ643が一番好きでプラモデルも買ったものです。今、使ってるバイクのヘルメットも2万円を出してジャン・アレジのカラーリングにしてます。シューマッハと言えばおっしゃる通り、ベルギーGPですよね。テレビをつけて予選7位にシューマッハ。「誰やこれ。」と思いました。ジョーダンの緑色?のマシンを操り、同僚のチェザリス(間違えてたらすみません)よりずっと速くビックリしたのを覚えています。ベネトンに移籍してからもセナとバトルをくりひろげまいしたよね。トラブルもありましたが。私も当時のビデオを20本程保管しております。フェラーリの在籍していたマンセルも好きでした。ガラス細工と言われたフェラーリのセミATが最後まで耐えれるかドキドキして見たものです。本当に懐かしい。長々とコメント書いてすみません。つい懐かしくなって・・・。

2007/10/16 (火) 20:49:43 | URL | seiji #- [ 編集 ]

seijiさま

アレジファンも多かったですねえ。フランス人は女性ファンが多いですね、うらやましい限りで・・・。そういやゴクミも。
アレジは実力はあるけど、鼻息の荒い運転でチェザリス同様壊し屋の一人でしたからね。フェラーリではマシントラブルも多く、プロストと組むとどうしても100%ナンバー2に徹するしかありませんよね。643からF92Aまでは駄作との悪評判のマシンだったことも不運でした。勝ち数が少ないのも仕方ありません。実力でも政治力でも偉大なライバルが多すぎました。
今後も我々の心を熱くするドライバーが出てくれればいいですね。
まずは次のブラジルGPで中島Jr.に期待しましょう!



2007/10/16 (火) 21:27:45 | URL | purin #XwX1ip.I [ 編集 ]

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